レポート

子育ても経営も趣味も、すべて追い求めるからこそ幸せ。トライバルメディアハウス池田氏インタビュー

子育てをしながら、仕事をすること。最近の社会人は忙しく、多くの人がその両立に苦労していることだろう。それがスタートアップ経営者であれば、なおさらそうなのではないか。

「経営者に二つの顔はあるのか」シリーズの続編ということで、ソーシャルメディアマーケティングに強みを持つ広告代理店、株式会社トライバルメディアハウス代表取締役社長の池田紀行氏にインタビューした。

2020年に池田氏が著した奥さまとの共著『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』(KADOKAWA)は、不妊治療に悩んでいる人だけではなく、広く子育てに関心がある多くの人たちから反響を呼んだ。今回のインタビューに関連する内容も詳しく書かれているので、気になる方はぜひこちらのご著書もチェックいただきたい。

特別養子縁組制度を活用して血のつながらない子どもを迎えた池田氏。「もともと、養子縁組は選択肢としてまったく考えてなかった」という。その上、「特別養子縁組で子どもを迎えるからといって、それまでと仕事のスタイルを変えず育児は回ると思っていた」同氏を、定時退社する“良きパパ”に変貌させたきっかけは何だったのか。特別養子縁組の経緯から現在の私生活まで、池田氏に幅広くお伺いした。

選択肢になかった「特別養子縁組」。それでも前に進むために受け入れた

──池田さんはご著書『産めないけれど育てたい。 不妊からの特別養子縁組へ』のなかでも、不妊治療から特別養子縁組制度を利用するに至るまでの経緯を赤裸々に綴られています。あらためて、その経緯について伺えますでしょうか。

池田:私が30歳、妻が28歳のときに結婚しました。子どもを望んでいましたが妊娠の兆しはなく「2年経っても妊娠しなかったら病院で検査しよう」というスタンスでいたんです。約束していた2年が経過したので産婦人科に行ったのですが、不妊の原因はわからずじまいでした。

それから不妊治療のために「タイミング療法」を試しましたがダメ。人工授精もダメ。妻の体に負担をかけながら体外受精を試みるもダメ。辛い不妊治療を繰り返し、2度の流産と、1度の死産という、厳しい結果となってしまいました。

気づけば、もう結婚から10年ほどが経過していました。私は20代からそれなりに仕事を頑張って34歳で今の会社を創業し、社員数も順調に増えて、個人で自己実現を着々と叶えてきた。一方で妻はその10年間、仕事を辞めて不妊治療に専念し、辛い流産や死産を経験し、人生が停滞しているように感じていました。そのまま不妊治療を続けても、授かる可能性は決して高くない状況でした。

──そこで不妊治療の継続から、特別養子縁組制度を活用する選択肢が視野に入ってきたわけですね。

池田:それでもまだ、私には心理的ハードルが残っていました。私はもともと、「他責」ということが大嫌いなんです。もし特別養子縁組で迎え入れた子が将来何か悪いことをしてしまったときに、「それは血がつながっていないからだ」と思ってしまいそうで、ものすごく怖かった。それが消極的だった一番の理由でした。

そのころ、妻の持病である子宮腺筋症がひどく悪化し、1カ月のうち半分くらいは寝ていないとならないほどにまでなっていました。そこで家族会議を設け、妻は子宮を全摘出する決断をします。それはすなわち、子どもを産むことを諦めた、ということでもありました。

妻は、子どもを「産むこと」は諦めても、「育てること」を諦めていませんでした。産むことと育てることはセットではないと考えたのです。彼女の人生において、最大の自己実現が「お母さんになること」。その決意を著した手紙を手術後の病室で私が受け取ったときに、彼女の覚悟にようやく私も考えを変え、特別養子縁組という制度を活用することを決めました。

変えるつもりがなかった仕事へのスタンス。そんな池田氏を変えたきっかけとは

──トライバルメディアハウスという会社を経営されながら、15年間お二人で結婚生活を過ごされた後で養子を受け入れることについて、不安はありませんでしたか。

池田:不安は当然ありました。それまでは多くの時間を仕事や会社経営に費やしてきたので、「子どもを迎え入れることで、仕事にも影響が出るのでは」と思いましたね。子どもを受け入れても、今までの仕事に対するスタンスを変える気はありませんでした。心のどこかで妻の希望を叶えてあげたと思っている節があったと思います。

──ということは、お子さんを迎え入れた当初は、そこまで育児に時間を割くこともなかった、ということでしょうか。

池田:もちろん、まったく手伝っていなかったわけではありません。できる限り、息子にミルクをあげたり、お風呂に入れたり、寝かしつけたり、お皿を洗ったりなど、最低限のことはしていたつもりです。ただ、それまでと仕事のスタンスを変えることはせず、早朝に出社して深夜に帰宅することも週に3〜4回はあったんです。そんな生活を3カ月ほどしていたところ、ついに妻が限界を迎え、「もう無理」と伝えられました。

──そこで仕事へのスタンスを変えられたのですね。

池田:妻の怒りに触れたことで、ようやく「変わらねば」と本気で思ったんです。ある日、妻が大学で講義をすることになり、半日家を空けるということで、私が一人で子守りをすることになりました。実際に子守りをするまでは「そんなに言うほど大変なのか?」とやや疑っていたのですが、「こんなに目が離せないのか」「ご飯を食べる時間すらないのか」「トイレにも行けない」と実感し、そこでようやく妻の大変さや怒りを理解できたんです。たった半日のワンオペ育児でしたが、「仕事のほうが100倍楽だな」と心底思いました。

それからは会食もほとんどなくして定時で帰宅するようになりました。洗濯や食器洗いも、気づいたら率先してやるようになりましたね。ただ、それでも1〜2年の間は、きちんと分担を決めて家事をやる状況が続きました。息子が2歳半になったあたりからようやく、どちらか気づいたほうが率先して家事をやるだけで回る状態になってきたと感じます。家事育児の分担をしなくとも、両者ともに負担を感じない状態になってきたと言いますか。

──コロナ禍で家にいることが増えると、育児に関わる時間も増えたのではないでしょうか。

池田:そうですね。物理的に一緒にいる時間が増えたので、息子に対する愛情もより深いものになったことを感じています。

子どもができて「話が通じる」社長になった

──お子さんを育てるなかで、仕事面で変わったこともあったのではないでしょうか。

池田:弊社は子どもがいる社員も多いですが、以前は子どもがいる社員が「突然子どもが熱を出して家にいなければいけません」などと言ってきても「君の家の子どもはよく熱を出すネー」と嫌味ったらしく感じていました。しかし私自身が子どもを持ち、子どもは本当によく熱を出すことや、すぐに体調を崩すことを理解できたことによって、子持ち社員の気持ちがわかり、優しくなれたと感じています(笑)。社員はみんな、喜んでいるのではないでしょうか。ようやく「話が通じる」社長になったという感じでしょうね。

また、自分が当事者になることで、子どもがいる消費者の気持ちがよくわかるようにもなりました。弊社はマーケティングの会社ですが、育児中の消費者の気持ちが理解できるようになったことで、おむつのマーケティングや、子どもと一緒に行く場所のマーケティングなどは、かなり得意になったと思います。

──池田さんのお子さんのことも、会社でお話しされることはあるのですか。

池田:フラットに話していますね。本を出版する前から、流産や死産のことも含めて話していましたから、特別養子縁組で子どもを迎えたときも、みんなすごく喜んでくれました。

幸せになるかどうかは、自分たちで決める

──経営も家庭も、忙しいながらも両立されているのですね。

池田:いいマーケターになるために、さまざまな経験をしていきたいんです。だから私は「ワークライフミックス」を掲げていて、「仕事も家庭も遊びもすべてを楽しみたい」と考えています。自分自身が体験していないと、消費者の気持ちはわからないですから。鎌倉に引っ越し、特別養子縁組で子どもを受け入れ、育児も仕事も趣味も充実していて今は最高に楽しいです。

──池田さんは多趣味なことでも知られていて、その多趣味ぶりを各種メディアに取り上げられていますよね。

池田:ロードバイクやDIYなど、趣味は幅広いです。最近、20年ぶりにウインドサーフィンを復活させました。鎌倉は山が近いので、トレイルランも始めたところです。

──最後に、特別養子縁組で子どもを迎え入れるかどうか悩んでいるビジネスパーソンに向けて、メッセージをいただきたいです。

池田:不妊治療は、私たち夫婦にとってはじめて自分たちだけの力では解決できないハードルでした。私も妻も「自責」思考で行動することを大切にしている人間です。だからこそ、これまで多くのことを私たち自身で解決してきました。そこに現れた「不妊」という大きな課題。そこで私たちは「特別養子縁組」という選択をすることにした結果、今の幸せがあるのだと思います。

「結婚は人生の墓場」「子どもは負担であり負債」などと言う人もたまにいますが、私は「結婚も、子育ても、最高だよ」と言いたい。あのとき、「絶対に幸せになるんだ」と意志を曲げなかった妻の決定に感服しています。だから、今結婚や子育てのことで悩んでいるビジネスパーソンにも、自分の気持ちを大事にしてほしいですね。


池田 紀行(いけだ のりゆき)

株式会社トライバルメディアハウス代表取締役社長。1973年横浜生まれ。マーケティング会社、ビジネスコンサルティングファーム、マーケティングコンサルタント、クチコミマーケティング研究所所長、バイラルマーケティング専業会社代表を経て現職。大手企業のデジタルマーケティングやソーシャルメディアマーケティングを支援する。宣伝会議、JMA(日本マーケティング協会)マーケティングマスターコース講師。近著『売上の地図』(日経BP)のほか、『キズナのマーケティング』『ソーシャルインフルエンス』(アスキー・メディアワークス)など著書・共著書多数。
株式会社トライバルメディアハウス


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