レポート

実現したいことがあるならどんな人でも起業はできる。消防士から起業家に転身したFireTech渡邊玲央氏に聞く起業の方法論

あなたは「起業家」と聞いてどんな印象を抱くだろうか。なんとなく「起業家とはこんな人」というイメージが思い浮かぶ人も多いのではないか。

株式会社FireTech代表取締役の渡邊玲央氏は「どんなタイプの人でも起業はできる」と話す。同氏自身は東京消防庁の職員として約14年間消防行政に携わった後、ソフトウェア開発会社での勤務を経て起業している。さまざまな起業家の先輩に出会ったことで、そのような思いを抱くようになったという。

しかしその一方で渡邊氏が「起業しないほうがいい」と考えるタイプの人もいるそうだ。それでは一体、どんな人に起業が向いているのだろうか。

ボクサー、消防士、全ての経験が今につながっている

──そもそも、なぜ東京消防庁の職員になられたのでしょうか。

渡邊:純粋に災害から人を助けたいという思いもありましたが、家庭に安定的に仕送りしたい、ボクシングを続けていきたいという思いもあり、入庁をしました。

──「起業したい」という思いはもともとお持ちだったのでしょうか。

渡邊:いえ、その入庁当時はまったくそうした思いはなかったです。

消防職員の業務は、火災対応のような、現場活動の仕事以外にも、事務処理を行う仕事が多々あります。

事務作業などをする際に業務改善のためにExcelの関数やマクロなどを自発的に作成することも多かったです。例えば担当だったときに、毎月発生する職員の残業手当てを紙でチェックする作業がありました。ひとつひとつ手作業で確認するのは効率が悪く正確ではないので、Excelで自動化するなど、工夫しました。みんなに喜んでもらえるのがすごく嬉しかったんです。

──消防庁での様々な業務があるのは意外でした。ほかにもプログラミングやITに関わるようなお仕事はされていたのでしょうか。

渡邊:東京消防庁で数年間情報通信課で仕事をしました。その際にITベンダーの方々とやりとりをしていました。当時は「こういうシステムを作りたい」と要望を出して交渉する側でしたので、プログラミングを自分ですることはなかったのですが。

しかしその経験も後に役立つこととなりました。

子どもが熱性けいれんになったのを機にアプリを制作。起業への道を歩み出す

──プログラミングはご自身で勉強されてきたということですよね。

渡邊:そうですね。少しずつ勉強してはいたのですが、本格的にプログラミングを勉強し始めたのは34歳のときからです。

2015年5月に、2歳の娘が突然、白目を剥いてガタガタ震え出しました。それを見た私は「もう助からないんじゃないか」「死んでしまうのではないか」とまで思い救急車を呼びましたが、実はその症状は2歳の子どもにはよくある「熱性けいれん」に由来するもので、軽症で済んだんです。消防職員であるにもかかわらず、そうした知識を持っていなかったことにショックを受けました。

そこで「子どもに何かが起きたときに、保護者がすぐに症状と病気を照らし合わせて確認できるアプリがあったらいいのではないか」というアイデアが浮かびました。早速アプリ化しよう、と一念発起。本格的にプログラミングを学び始めた、という経緯です。2020年に「ChildShell」という名前のアプリとして正式にAppStoreへリリースしました。

──なるほど。そこで起業を意識し始めたのでしょうか。

渡邊:起業というよりも、プログラミングをしてもっと良いサービスを作りたいという思いが強くなってきたという感じですね。

以降は、ハッカソンの大会にもいくつか参加しました。その中で、あるソフトウェア開発会社の代表の方との出会いがありました。その方は、当時審査員をされていて「渡邊さんのやろうとしていることを応援したい。まずは私の会社を手伝ってくれないか」と打診いただきました。私としても、自分がやろうとしていることは公務員のままでは難しそうだと思っていたところだったので、お話しいただいたソフトウェア開発会社への転職を決意しました。

──転職されたソフトウェア開発会社では、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。

渡邊:プロジェクトマネージャーの仕事でした。業務における課題を解決したい人とプログラマーの間に入って、課題解決の過程で出てくるさまざまなタスクの進捗を支援したり、ときには新たな課題を発見・特定して解決までの道筋をつけたりする仕事です。

東京消防庁ではベンターにお仕事を依頼する側でしたが、依頼される側になったということです。そのため、ベンダーとしてどうしたらよいかプログラマーに伝える時に、情報通信課での経験が活きました。

──民間企業への転職を決意されたということは、転職の時点で起業することも決意されていたということですか。

渡邊:そうですね。「1年後くらいには起業して独立できれば」と当初は思っていました。2019年の2月に転職して、2020年の2月に会社を登記しました。しかし、最初の1年間くらいは、仕事の合間を縫って事業の検討を進めました。

具体的には、2020年にリリースした「ChildShell」のアプリでいくつかのアクセラレーションプログラムに応募。しかし、審査員の反応を見て「このサービスはビジネス向きではない」と判断しました。そこで、次なるアイデアとして防災の初期対応の重要性に着目した新サービス「防点丸」を着想します。「防点丸」でプログラムに応募したところ、今度は好感触で資金調達もできそうだと思ったので、2021年の2月くらいに「ChildShell」から「防点丸」へピボットしました。資金調達もできたので、その資金で2021年6月に独立しました。

これまでの経験や性格を活かすために起業した

──「元消防士」という肩書きだけを聞いていると、起業家から遠い気もしますが、実際のキャリアを聞いてみるとそうでもないんですね。

渡邊:そうですね。今まで培ってきた自分の知識や経験、スキルを活かしてサービスを生み出したいという思いで起業しました。

あとは私の性格です。言われたことを言われた通りにやることが苦手で、どうしても工夫してしまう。その性格を活かして新しいサービスを作っていきたいという思いもありました。

──東京消防庁とソフトウェア開発会社のそれぞれのキャリアで培ったことで、特に役立っていることは何でしょうか。

渡邊:東京消防庁のときには、いろいろな人たちとコミュニケーションをとってチームとして仕事をしていたので、そうしたコミュニケーションの取り方については今でも役立っています。ソフトウェア開発会社については、プロジェクトマネージャーとして働くなかで身につけた課題を深掘りするスキルがかなり活かされています。

──渡邊さんはプログラミングのスキルを活かして起業されています。やはり起業するならプログラミングを学んでおいたほうがいいのでしょうか。

渡邊:必ずしも自分でプログラミングができるようになる必要はありません。プログラミングができなくても、チームにそのような人を引き入れればいいだけです。逆にプログラミングができるからといって、起業して成功するわけでもありません。

──いろいろなタイプの起業家がいていい、ということでしょうか。

渡邊:そうですね。私は長らくボクシングをしていましたが、ボクサーにもいろいろなタイプがいます。近距離が強い人、遠距離が強い人、長期戦が強い人など。起業家も同様で、営業が強い人、プログラミングができる人などさまざまです。何かしらの強みがあれば、あとはチームで補ってもらえばいいのです。起業家で活躍している人も、それぞれの強みを存分に活かして戦われています。

だからこれまでのキャリアの延長でなければならない、ということでもなく、起業するのであれば、自分の強みが何か、そこに向き合ってみるのがいいのではないでしょうか。

「何をしたらいいかわからない」人は起業しないほうがいい

──起業にあたって特に大変なことは何でしたか。

渡邊:色々大変ですが、お金回りは特に大変ですね。常に支払いのことを考えるようになりました。そういった意味では、恐怖はあります。でも私の場合、キャリアの節目でいつも考えるのは、「後悔したくない」ということです。私の場合は「起業しないで後悔するよりも、起業したほうがいい」と判断しました。

ただ、起業してよかったなとは感じることも色々ありています。起業しないと巡り会えないような人たちにたくさん出会えましたから。日本財団ソーシャルチェンジメーカーズ(SCM)のプログラムでも、よき経営者仲間にたくさん出会えました。

──ご家族はどのように説得されたのでしょうか。

渡邊:妻には「生活水準を下げない」という条件付きで、起業を了承してもらいました。最低限の生活水準を保てるよう、頑張っています。

──「起業したいけど何から始めたらいいかわからない」という人もいますが、そうした人はどうしたらいいのでしょうか。

渡邊:そうした方には、「起業しないほうがいい」とお伝えします。起業はあくまで手段です。何かやりたいことがあって、それを実現するために起業するものだと思います。

──渡邊さんご自身はFireTechの起業を通じて、今後どのようなことを実現されたいのでしょうか。

渡邊:消防の初期対応を変えていきたいと考えています。今までアナログで行ってきた活動をデジタル化してコスト削減しながら、きちんとした防火・防災ができるようにしたい。それが災害の被害軽減にもつながりますから。

防災という社会課題を解決するために、プロダクトの利用を少しずつでも広げていければと思っています。地道に進んでいくというのが私の起業スタイルなのかもしれませんね。


渡邊 玲央(わたなべ れお)

1981年生まれ。20歳の頃からボクシングに傾倒し、34歳で引退するまで、40戦以上の試合に出場。東京都チャンピオン、全日本ランキング3位の成績を残す。2005年、東京消防庁に入庁し、様々な消防業務を経験。2015年、当時2歳だった娘が熱性痙攣を起こし救急を要請。その原体験から「誰もが適切な事前対策、初期対応ができる社会を作りたい」と思い立ち、プログラミングを一から学ぶ。
2017年、内閣府主催の防災ハッカソンにて防災担当大臣賞を受賞。他、自身で開発したシステムで受賞歴多数。2019年、東京消防庁を退職し、ソフトウェア開発会社にて2年半、プロジェクトマネージャーとして従事。2020年2月、株式会社FireTech設立。同社代表取締役。

株式会社FireTech

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