レポート

組織の代表を引き継ぐとはどういうことか?NPO法人不登校新聞石井志昂氏の場合

組織内でスタッフとして働くなかで、組織の事情や人間関係などを理解してきたとしても、いざ自分が組織の代表を引き継ぐとなれば、やはり戸惑ってしまう方も多いのではないか。

NPO法人全国不登校新聞社代表理事の石井志昂氏もその一人だ。編集員から編集長、そして代表理事へ就任した時の二度にわたり、困難に直面したという。石井氏はそれに対してどのように対処し、乗り越えていったのか。

どんな立場・組織であれ、責任者になること、組織の代表になることに悩んでいるような方に、ぜひお読みただきたい。

不登校新聞が一番苦しい時期に編集長に就任

田中眞紀子さんに取材

──不登校新聞の概要を教えてください。

石井:日本で唯一の不登校専門紙で、月2回発行しています。不登校で悩む本人と保護者がターゲットです。紙とWebで発行していて、紙版が月2,000部、Web版が月1,600〜1,700部ご購入いただいています。読者層の平均年齢は49歳で、約7割が女性。14〜17歳の不登校のお子さんを持つお母さんが平均的な読者層です。

──石井さんが不登校新聞の編集長になられたときには、不登校新聞の販売部数はどのような状況にあったのでしょうか。

石井:実は当時、不登校新聞の販売部数はずっと右肩下がりで苦しい状況が続いていました。そこで当時の編集長が「若い人に譲って自分は身を引く」ということで、私が編集長になりました。

編集長になってから模索を続けました。しかし部数は落ち込む一方。ついに、1998年には最高月4,000部販売(発行)できていたのが、月800部まで落ち込んでしまい、採算ラインを割ってしまったのです。

──なるほど。厳しい時期に編集長になられたのですね。そこから現在は販売部数も大きく伸びています。どのように改革されたのでしょうか。

石井:「いよいよもうダメだ」ということで、2012年に休刊予告を出します。そこからNPOサポートセンターにも通って「本当に読者が求めている情報とは何か」「読者が必要としている新聞とは何か」についてマーケティングを学びながら再定義していく作業を始めました。

前の編集長を見て、読者を見ていなかった

石井:それまでの不登校新聞は、編集側が出したい形式で情報発信していたんです。ニュース記事や論説など、専門家の原稿が中心の紙面でした。しかしそれは読者の求めている情報ではなかった。

お母さんたちからすれば、「不登校になっているうちの子はどうすればいいんだ」ということで悩んでいる。悩んでいるお母さんに必要な情報はどんな情報なのか。それは生の情報だったんです。より実態に則した情報。例えば、今子どもが熱中しているゲーム。果たしてゲームばかりしていて大丈夫なのか。そこで根拠とともに「大丈夫ですよ」と伝える。そんな情報を求めている。より生活に密着した情報ですね。

不登校新聞の編集部員もかつて不登校当事者だった者が多いので、その経験を踏まえつつ、「より生の情報を」と考えながら紙面構成を変えていったところ、徐々に販売部数が伸びていきました。

例えば、中川翔子さんや宮本亜門さんなど、不登校経験者の著名人のインタビューを数々載せてきました。取材は「本当に自分のためだけに取材して」と伝えて、不登校当事者たちにお任せしています。すると読者に響く取材ができるんですね。例えば中川さんには「生きている意味がわからない。どうしたらいいか」という質問が出て、中川さんにもとても真摯に答えていただきました。

現在では、さらに記事の構成を発展させています。例えば、不登校の当事者である17歳のスタッフに1週間の日記をつけてもらっています。朝何時に起きて、夜何時に寝て、ゲームは何時間して…などといった日々の生活を詳細に記述するんです。それを見ることで読者も勇気づけられるんですね。

──石井さんご自身も不登校経験がおありだと伺いました。

石井:そうですね。中学2年生のときに不登校になり、フリースクールに通っていました。フリースクールで「不登校新聞というメディアを始めるから、一緒にやってみないか」「取材をきっかけに有名人に会えるよ」と誘われ、子ども編集部員として関わり始めました。

フリースクールには週3~4回通い、あとはほとんど家でダラダラする生活でした。不登校になったときから学校の勉強は一切しないようになり、フリースクールでは友達と話しながらいろいろと企画を考え、実行していました。超高層ビルを仲間と一緒に歩いて登ってみたり、人気テレビ番組『タモリ倶楽部』で紹介された民俗音楽を一緒に聴きに行ったりと、楽しく過ごしていましたね。

──かつてご自身も不登校を経験されてきたなかで、編集長になってから部数が伸びずにもどかしさを感じられたのではないでしょうか。

石井:そうですね。編集長になったときは「前の編集長のとおりにしよう」と思っていたので、方針転換できずに苦しみました。「前の人と同じ良さをどう作るか」ということばかりを考えていたんですね。「いよいよヤバい」となって、そこでようやく、「今までの自分は、部数の落ち込みから目を背けていたんだな」と気付きました。そこでいろいろと読者のためにもがき始めたから今があるのだと思っています。

──読者からの反応はどうでしょう。

石井:「初めて自分と同じ心境の人と出会えて、とても安心した」と言ってくれるお母さんも多いです。周りからは「育て方が甘い」「厳しすぎる」、先生からは「何で学校に連れて来れないんですか」などと言われて、多くのお母さんは参ってしまっています。そこで不登校新聞を読み、同じような人がいると知ることの心強さは言葉では言い表せないのではないでしょうか。

私自身も不登校だったときに「自分だけじゃないんだ」と知り、非常に安心した覚えがあります。これからも、そのように悩んでいる読者に寄り添っていければと思っています。

代表の役割も、まだ模索している途上

BiSHのアイナ・ジ・エンドさんに取材

──編集長を経て、代表理事になられました。そのときはどのような思いでしたか。

石井:怖かったですね。一緒に働いている人たちの生活がかかっていますから。すごいプレッシャーを感じていました。よく飲みに行っていた友達は、悩んでいた当時の私を見て、あまりに心配して「『代表はやめたほうがいいかも』と言おうと思っていた」と後から言われたくらい、追い詰められていました。

──編集長と代表理事の役割は何が違うのでしょうか。

石井:編集長は新聞の発行責任者ですが、代表は組織全体の方針を決めるのが役割ですね。ただ私自身もまだ、代表の役割を模索している最中です。

例えば代表になったばかりの頃は、テレワークの規定がなかったので、新しく規定を考えたりしていました。就業規則や賃金体系を改定したり、社内合意の取り方を整備したりと、課題は山積みですね。

NPO法人の事業承継って、先例がほとんどないんですね。だからどうしていいのかわからないことがすごく多い。そんなとき、他のNPOの事業承継で代表を引き継いだ方々と話すきっかけがありました。NPOの二代目経営者が集まるイベントです。そのイベントの帰り道、二代目経営者にしか通じないような悩みを語り合い、いろいろとわかることもありました。皆さんも同じように悩まれていることを知り、安心したんです。そこからは、悩んだことがあると、そのときに出会った方々とお話しするようにもなりました。やっぱり相談できる人がいると心強いです。

──現在、集中して取り組まれていることは何でしょうか。

石井:給与改定とワークライフバランスです。NPOのなかでは、不登校新聞の給与は高いほうかもしれませんが、職員の生活を考えるとやはり給与のベースアップが必要です。仕事の性質や職員の性格的に、どうしても休日もボランティアで働いてしまいがちなのですが、そこもきっちりケジメをつけられるように変革していきます。

ただ、不登校新聞の最大の課題・目的は、不登校問題そのものを解決することです。実は、不登校そのこと自体は問題ではありません。当事者が精神的に苦しいときには、不登校になることが必要なケースもありますから。そうではなく、不登校を問題視されることが問題なんです。問題視されることで、不登校当事者が苦しんでしまう。そうした状況をなくさなければならない。

周囲の子どもが不登校になったときに対処ができるように、日本人全体のメンタルケア能力を向上させることも課題と捉えて、解決のために各種取り組みを実施しています。

──9月1日に長らく兼務されてきた編集長を後進の方に譲られることになったそうですね。

石井:はい。代表理事に専念すべく、編集長は引き継ぐことになりました。自分が引き継いだときに、前の編集長を見てしまっていたという反省から、後任には「不登校新聞を面白くしてください」とだけ伝えています。

──まだ代表としての役割を模索されているということですが、同じような境遇にいる方にアドバイスをお願いします。

石井:自分一人で苦しんでカッコつけず、できないことは「できない」と伝えて、助けてもらうことが大事かなと思います。私もわからないことが多く、二代目経営者仲間に相談しながらなんとかやれている感じです。代表だからといって完全ではないので、どんどん頼って自分を開くことでまた相手も開くのではないでしょうか。


石井 志昂(いしい しこう)

1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた。
当事者目線をモットーに読者に寄り添う新聞発行を心掛けている。NHK『逆転人生』、NHK『8月31日の夜に』、各TV番組、ラジオ番組などに出演。2019年度には『不登校新聞社』がシチズンオブザイヤーを受賞。

不登校新聞


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