レポート

柔道で北京パラリンピックに出場し、障害者雇用支援の会社も経営。数多の顔を持つ初瀬勇輔氏のパワフルな生き方に迫る。

ある日突然、目が見えなくなったらどう思うだろう。「もう自分の人生はダメかもしれない」。そう思ってしまうこともあるだろう。生きる希望を見出せず、自暴自棄になってしまうこともあるかもしれない。

今回インタビューした初瀬勇輔氏もかつてそのような体験をした。しかし初瀬氏はそこでめげなかった。柔道を始め、見る見るうちに腕を上達させた。そして2008年には、北京パラリンピックにも出場するなど輝かしいキャリアを誇る。

それだけではない。2011年には障害者雇用の現状を変えるべく、障害者人材の紹介事業を行う株式会社ユニバーサルスタイルを設立し、経営者として順調に事業を拡大している。

いくつもの顔をあわせ持ち、パワフルに活動する初瀬勇輔氏の原動力に迫った。

視力が低下したのをきっかけに柔道を再開。居場所を見つける

──初瀬さんはそもそも、なぜ柔道を始めたのでしょうか。

初瀬:19歳、浪人1年目で右目の視力をほとんど失い、23歳の大学2年生時に左目の中心視野を失ったため、大学ではほとんど何もできませんでした。大学4年生になり周りのみんながどんどんと就職先を決めていくなか、自分は就職するかどうかすら決まっていない、白紙の状況でした。

すると、当時付き合っていた彼女に「とりあえず、柔道やってみたら」と言われたんです。私が中高時代に柔道をやっていて、県の強化選手にまで選ばれたことを知っていたからですね。

「目が見えないから何もできない」と思っていた私でしたが、彼女の発言を受けて、藁にもすがる思いで柔道を再開することに決めたのを覚えています。自分にできることを探していたんですね。ちょうど2004年、アテネのパラリンピックの報道が盛り上がってから1年ほど経った頃です。

──なるほど。今ではパラアスリートとして活躍する初瀬さんにも、そんな時期があったのですね。

初瀬:柔道再開後、すぐに大会で優勝したこともあり強化選手に選ばれその後の大会や合宿に参加するようになりました。障害者柔道の大会で出会った他の選手から、結婚して子どもがいたり、旅行を楽しんでいたりと、幸せそうに生活している様子を聞きました。

大会に行くと、9割が私のように障害者なので、マジョリティーになれたんです。そこで「私にも居場所がある」と気付きました。障害があっても、普通に仕事をしながら柔道もして、楽しく生きている彼らに感化され、「私も仕事を探そう」と思い、就職活動を始めることに決めました。

就職活動で100社以上の書類選考に落ちて障害者雇用の現実を知る

──周りの大学生から少し遅れて就職を決意されたということですよね。就職活動はスムーズにいったのでしょうか。

初瀬:障害者雇用枠で100社ほど受けて全部書類選考で落とされました。周囲の自分の大学の同級生は、書類選考で落ちるなんでことはなかったんです。だから「やっぱり、目が悪いことが原因なのか」とショックでした。スタートラインにも立てないのかと。

それでもなんとか障害者雇用の枠のなかで就職でき、5年ほど勤めました。障害者雇用なのですごく給与が安く、やりたいことができない現状にもどかしさを感じながら働いていましたね。

──2008年に会社員として働きながら北京パラリンピックにも出場されました。

初瀬:「働きながらでも勝ちたい」と思う気持ちで柔道を続けていたら、パラリンピックにも出場できました。しかし仕事の面ではストレスを感じていたのと、就職活動の際に感じた障害者雇用のハードルの高さにずっとモヤモヤしていました。

自分が勤めていた職場を見て、知的障害者の方も生産性高く仕事ができる現場を見てきましたので、「どこかでミスマッチが起きているんだろう」「そのミスマッチを解消したいな」ということを考えていましたね。

ノープランで独立。きっかけは彼女との喧嘩

──そうした障害者雇用への思いから、起業に至ったのですね。

初瀬:いえ、はっきりと障害者雇用領域で事業をしようと考えたのは、独立を決めた後のこ
とでした。

──独立する直接的なきっかけは何だったのでしょうか。

初瀬:会社を辞めて独立したいということを普段から彼女に言っていたのですが、ある日彼女に「どうせ会社、辞めないんでしょ」と言われ、カチンときたんです。「いいよ! じゃあ明日、会社を辞めてやる!」と勢いよく言って後がなくなり、翌日会社に「辞めます」と伝えました。その日、39度を超える熱が出ていたのですが。

──そんな無計画に独立されたのですね(笑)。

初瀬:そうなんです。確かに突然だったのですが、独立したのは2011年で、ちょうど東日本大震災が起こった年でもありました。そこで、「いつ何が起きるかわからないから、今やりたいことをやろう」と感じていたのも、大きいかもしれません。

楽観的な気持ちもありました。渋谷スクランブル交差点を歩いているときに、「今、この交差点を歩いている人たちは何かしらで飯が食えている。だから自分も、飯が食えるくらには稼げるはずだ」と思ったこともありました。


また、障害者雇用だった自分はそこまでたくさんの給与を得ていたわけではないので、失敗してもそこまで失うものが大きくないと感じていました。リスクが低いと思った気持ちも独立・起業を決意できた背景にあります。

──独立した後で障害者雇用の事業をすることを決意されたようですが、どのようにして案件を獲得していったのでしょうか。

初瀬:会社を設立したての頃は本当に仕事がなくて、柔道の練習ばかりしていました(笑)。営業活動に行くにもお金がかかるので、積極的にはしておらず。しかし周りからのサポートもあり、徐々にお仕事を獲得できていった感じですね。

世間に障害者雇用の必要性が認知されていったことと、パラリンピックの価値が高まっていったことで、私の会社も徐々に必要とされていったのだと思います。

アスリートは会社経営に向いている

──会社を経営しながらも、アスリートとして活動を続けてこられた初瀬さんのスケジュール管理術を教えてください。

初瀬:仕事が増えてくるまでは気が向いたときに練習、でよかったのですが、忙しくなってきてそうはいかなくなりました。そこで、練習を含めた1カ月分のスケジュールを決めてしまい、その時間に練習するように変えました。

──パラアスリートには初瀬さんのように仕事をしながら、その合間を縫って練習をしている方が多いのでしょうか。

初瀬:以前はそうした方が多かったのですが、2013年に東京大会の招致が決まり、翌年にパラリンピックが文科省の管轄になった頃から、企業がアスリート枠で障害者アスリートを採用するようになり、多くのパラアスリートは専業でスポーツに専念できるようになりました。そのため、今は私のようにビジネスと両立している方は少数派です。ここ10年で、障害者のキャリアの選択肢として「プロスポーツ選手」というものが加わったように思います。

──初瀬さんは次のパラリンピック出場を狙っているのでしょうか。

初瀬:今はどちらかというと支援側に回りたいという気持ちが強くなってきています。JPCの委員でもありますし、今後はサポートのほうに重点を移すかもしれません。

プロスポーツ選手としてのキャリアが生まれたために、今度は障害者アスリートのセカンドキャリアの問題も浮上してきています。その整備にも携わっていけたらいいですね。まだまだロールモデルが少ないので、アスリートたちのセカンドキャリアの道筋を示したいと思っています。

──アスリートと、経営者。共通する資質は何でしょうか。

初瀬:「目的に向かって頑張れること」ですね。そうした意味では、アスリートはビジネスに向いていると思います。頑張る方向性さえわかれば、自分で起業することも全然ありじゃないですかね。

日本からスティーブン・ホーキングを輩出できるか?

──障害者雇用の支援という文脈でいうと、今後はどんなことに力を入れていきたいですか。

初瀬:まだまだ企業内で活躍している障害者の方は少ないですよね。例えば、実力があれば、企業幹部に障害者の方が登用されてもいいじゃないですか。そうした道を作れたらな、と思います。

例えば、重度の障害をありながら、世界的な業績を残された理論物理学者、スティーブン・ホーキングさんのような人が日本から出てきてもいいじゃないですか。でも今の日本の障害者雇用を取り巻く環境では、そうはいかないかもしれない。例えば日本の会社では、視覚障害があるといろいろとできないことが多いですし、業務のスピードも遅くなる。私が個人情報を代筆することをお願いするときにも「じゃあ、上司に確認します」「個人情報だから代筆はできません」などと言われてしまうこともありました。このように、バリアフリーが考えられていない日本の職場環境にホーキングさんが置かれていたら、研究もしづらかったかもしれません。

こうした環境を変えていきたいです。

──今後のご活躍を祈念しております。ほかに力を入れていらっしゃることはありますか。

初瀬:最近、友人から誘われて短歌を始めました。NHKの番組で紹介されたこともあります。好きになるとどんどんのめり込んでいってしまう性格なんですよね。会社経営ももちろんですが、今後もさまざまなことに挑戦していきたいです。


初瀬 勇輔(はつせ ゆうすけ)

1980年まれ。長崎県佐世保市出身。 青雲学園中学・高等学校を経て中央大学法学部法律学科卒業。大学在学中に緑内障により中心視野を失い視覚障害となったが中学高校と打ち込んだ柔道を再開し2008年北京パラリンピック出場を果たす。自身の就職活動の経験から2011年に障害者雇用コンサルティングを事業とする株式会社ユニバーサルスタイルを設立。競技団体をはじめさまざまな団体運営にかかわりながら講演活動も積極的に行う。
株式会社ユニバーサルスタイル


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